この1年間に遭ったこと②

GW明けにオプジーボ投与で入院が決まった。

初日から、いきなり投与した。

40度の熱が1週間近く出た。

インフュージョンというショック反応らしい。

普通の癌患者への投与では、38度程度の熱が一晩出て終わりになることが多いらしい。

私の場合はかなり酷い高熱だとの認識だった。

脳炎や筋炎を過去の移植後オプジーボ投与患者が起こしたとすれば、私の副作用は高熱だったと解釈された。

比較的軽い方と誰もが認識した。

しかし、これは序章に過ぎなかった。

退院はすぐに出来た。1クール終わると通院での投与となった。

2クールが終わったところで咳が出たが、レントゲンにも影が映らなかった。

3クールが終わり、数日経つと咳が酷くなった。

丁度、社員研修の講師を久しぶりに行ったが、終了後には、まともに喋ることも出来なくなっていた。

数日経つと、より酷くなっていた。100m程歩くと、息苦しさを感じた。

私は近所のコンビニに行く途中で地べたに座り込んでしまった。

その日は土曜日だった。病院に電話をすると、月曜日に通院するようにとの指示。

週末は安静にし、月曜朝に通院した。

通院すると、CTスキャン、レントゲンなど一連の検査を行い、血液検査の結果を末まで院内のコーヒーショプで時間を潰していた。

すると、主治医が看護師を連れて現れた。私は何事かと思った。

「すぐに診察をします。」

酸素濃度を測ると87%。

意識があるのがおかしいと言われたが、私は呑気にホットドッグを食べていた。

その日は妻の反対を押し切り、自分で運転してきていた。

自宅に荷物を取りに行くことも許されず、車椅子に乗せられ、そのまま即入院。

間質性肺炎にかかっていた。

間質性肺炎は非常に怖い。

肺をぶどうに例えると、房そのものが炎症を起こす肺炎である。

ぶどうの中が炎症を起こす方が幾分やさしいらしい。

即入院、即投薬をしないと生命の危険があるとのこと。

全身麻酔をかけられ、気管支鏡検査。

中度の肺炎との診察。

私はその日のことはよく覚えていない。全身麻酔は前後の記憶が飛ぶらしい。

術後に周囲に電話をかけたらしいが、全く記憶にない。

翌朝、携帯の通話履歴を見て驚いた。様々な人に電話をかけていたのだ。

再度、通話相手に電話をかけて伺ったが、話していた内容はしっかりしていたらしい。

検査が終わると直ぐに大量のステロイド剤が投与された。

臍帯血移植の時の2倍量だ。

医師曰く、初回の治療で炎症が治るかどうかがポイントらしい。

もし、投与量をセーブして薬が効かないと、そこから投薬料を増しても遅いとのこと。

初回で効かないと、そのあとコントロール出来なくなるとのこと。

「死」という言葉こそ使わないものの、かなりの確率でそうなると私は認識した。

こういった時に看護師は役に立つ。

先生から言われたことを確認するのには、看護師に聞いてみるのが一番だ。

看護師は医学的な知識も多少持ち合わせているが、現場の情報として間質性肺炎患者がどうなるかを知っている。

どうやら間違いないらしい。

初回治療で炎症が治らないと、かなり危ない状態になるとのことだ。

 

翌朝、咳が止まっていた。大量のステロイドがどうやら効いたようだ。

一安心である。

私は一週間くらいで退院できるのかと思った。

しかし、医師から告げられたのは1ヶ月は最低入院とのことだった。

ステロイドを徐々に減らしていく必要があるとのこと。

急激に減らすと肺炎が再燃する可能性が高い。

再燃した肺炎というのはコントロール出来ないとのことだった。

時間をかけてゆっくりとステロイドを減らしていく必要があるのだ。

 

最初の二週間は順調にステロイドを減らすことが出来た。

しかし、途中から肝臓や膵臓、血小板にもオプジーボの副作用が現れた。

ステロイドを早く抜かないと、癌細胞が大きくなるリスクもあった。

また、副作用がこれ以上強くなると、それによる生命の危険も出てきた。

その時はステロイド剤の増加では抑えられないので、免疫抑制剤を使うとのことだった。

それでは本末転倒である。

免疫を暴走させる薬をいれて、抑制する薬で抑えてしまっては、何のためにやったのか分からない。

そして、免疫が抑制されれば癌細胞が活発化するのである。

特に肝臓や膵臓が悪かったので、食事に気をつけた。

入院時に65kgあった体重は、ステロイドの影響による筋肉減少とダイエットにより、58kgまで減ってしまった。

移植時は80kgまで増加したことを考えると恐ろしい振り幅である。

一時はペットボトルの蓋をあけるのも厳しくなった。

私は抗うことを大切に、握力や脚力の筋トレに励んだ。

努力が報われたのか、次々と回復の兆しが見えてきた。

恐れていた癌細胞の肥大化も起きずに、むしろ3cmを切るまでに癌が縮小してくれた。

この状況下での縮小はステロイド減少後に更に縮小が望めるとのことだ。

私はゆっくりで良いので確実にステロイドを抜いて、癌細胞を小さくすることを大事にしたいと主治医に伝えた。

終わってみれば、約2ヶ月の入院期間が過ぎていた。

 

この1年間に遭ったこと①

Day63で更新が滞った。

生命の危険から出した瞬間にブログと向かい合うことが辛くなってしまった。

応援してくださっていた方達からは一部個別に連絡をいただく格好となってしまった。

自分勝手さに嫌気が差すが、なかなか再開出来なかった。

自分の状況を書くことは、どうやらジャーナリングというらしい。

人に話すことによって、ストレスを軽減するのだそうだ。

私はこのブログを通じてジャーナリングをしていたのかもしれないと思った。

生命の危険がすぎるとジャーナリングが必要なくなり、逆に辛い経験を思い出すようになってしまった。

しかし、今になって周囲から経験を伝えることも意味のあることだと諭されるようになった。

また書こうと思えるようになった。

 

今年2月に再発した。

折角の臍帯血移植だったが、癌細胞は生きていた。

しかし、移植した赤ちゃん細胞が元気だったため、癌の進行は以前よりも遅い。

意味がなかったわけではない。

私は弱いCMOPという抗がん剤治療を選択した。

やりたくなかったが、移植後の選択肢は2回目の移植かオプジーボしかない。

2回目の移植は成功率が2割以下だ。

私はカードとしては捨てないが、現時点では使うことはないと思っている。

それより、効果が実証されているオプジーボを試したい。

しかしながら、オプジーボは免疫が落ち着いてないと出来ないのだ。

主治医の見立てだと免疫が落ち着くまで数ヶ月必要だとのことだった。

 

CMOPを3クール行ったところで、足の神経障害が酷くなった。

一旦、抗がん剤治療をストップした方がよいという診断だった。

また、胸に再発していた癌はCMOPでは完全に止められず4.5cmまで育っていた。

このままだと2ヶ月で呼吸困難になる。

そろそろ免疫反応が落ち着いたこともあり、私はオプジーボに踏み切ることにした。

 

オプジーボは抗がん剤とは異なる。

自己の免疫が癌細胞を攻撃しやすくするよう作用する薬だ。

薬そのものが免疫力を破壊してしまう抗がん剤とは一線を画する。

しかし、副作用がないわけではない。

免疫を暴走させるため、移植同様に自分の身体を攻撃してしまうのである。

移植患者は既に免疫が暴走しているため、投与に大きなリスクを伴う。

私のかかりつけの病院は日本有数の症例数である。

しかし、ホジキンリンパ腫の移植患者がオプジーボを行った前例は三例しかない。

それぞれ結果が異なり、自分の身に何が起こるかを予測するのは難しい。

要するに、やってみるしかないのである。