Day63

案の定、甲状腺は異常なしだった。

今週に入って、肝臓の数値が少し乱れたが、ちょっとした酒飲みレベル。

私はお酒を飲まないので、元々の数値が低い。

回復も早く、直ぐに正常値に戻った。

明日、退院することが決まった。

移植後、9週間。Day63での退院。

臍帯血移植としては上出来だ。

 

今回の入院生活ほど、自分の価値観を変えた経験はなかった。

「大切な人を大切にしたい。」

「自分の価値を信じ、時間を大切にしたい。」

「他人の評価や期待に応えることに犠牲を払いたくない。」

「誰かに蔑まされようとも、嘲笑われようとも、脅かされようとも気にしない。」

「遠慮して生きることはやめよう。」

今回、人の暖かさと同時に冷たさも味わった。

それはブログには書かない。

美談ばかりではない。

死ぬかもしれないとも本気で思った。

するとどうだろう。

感謝の念が込み上がるのと同時に

無用な悩みや気遣いが馬鹿馬鹿しく思えて来た。

無駄に気を使って生きてきたことを後悔した。

金輪際やめる。

マイペースぷりに輪がかかるかもしれない。

ただし、筋は通す。

 

さあ、退院だ。

前回のPET-CTで甲状腺に反応が見られた。

触診で腫瘍ではないことは分かっていたのだが念のため検査を行った。

超音波検査では陰性。

原因不明の炎症とのことだった。

頭頸科に回されたが、所見は同じく陰性。

念のため、針生検を行った。

速報では陰性とのことで、来週の正式結果を待つことになった。

特に心配はしていない。

万が一、甲状腺が発がんしていたとしても命を取られることはないらしい。

おそらくはガッツポーズをさせない神様のいたずらだろう。

「まだ闘病生活は終わっていない。気を抜くな。」

そう言われている気がする。

先生からも退院後は感染に気をつけるように念を押された。

突然の退院宣告である。

念の為、検査結果を待ってから退院とのこと。

…というのも、7月下旬から劇的な回復がみられたのだ。

食事は制限の範囲内であれば脂っこいものでも食べられるようになった。

ハンバーグやラーメン大盛りまで食べられる。

体重は減ったが入院時から−5kg程度だ。

一番減ったのは足の筋肉。

しかし、日々のトレーニングで直ぐに歩けるようになった。

腹の贅肉は全く変わってない。

日々のダイエットは禁止なので、退院後努力しよう。

点滴は昨日をもって全て外れた。

内服薬に切り替えたタイミングで免疫の暴走が想定されたが何にも起きなかった。

残された課題は甲状腺だけで、それがもはや解決しようとしている。

第二関門突破の時が嘘のように退院前は順調に事が進んだ。

 

そして、今日、二ヶ月半振りに8歳の息子に会った。

4歳の娘とは分けた。

8歳の息子の方が心配しているからである。

癌は子ども達にも影響を与える。

移植の戦場では生きることだけを一先ず考えた。

家族のケアまで考えられなかった。

しかし、子どもは親父の必死さを感じ取り、不安になっていた。

私は妻と息子に病院に来てもらった。

会った瞬間、涙が出そうになったが、親父の威厳がなくなるので堪えた。

私は以下のことを伝えた。

・父は血液の癌にかかっていて2年前から闘病してきた(改めて伝えた)

・病気は一緒のお風呂に入っても一緒に寝てもうつらない。

・病気は誰のせいでもない(息子達が悪さをしたからなったとかではない)

・父の中にいる仮面ライダー(免疫)は悪者(癌)を殺せない

・今まで2年間は仮面ライダーも悪者も殺す抗がん剤という薬を、色々試して来たがダメだった。

・今回の長い入院では、父の仮面ライダーを殺して、元気な人から新しい仮面ライダーをもらうことにした。

・でも、もらえなかった。

・代わりに赤ちゃんライダーが来た。

・赤ちゃんライダーは聞き分けがないので、父を攻撃する。

・赤ちゃんライダーが成長するまで、ぼーっとする薬を飲み続ける(免疫抑制剤)。

・でも、ウイルスが入って来たときに、ぼーっとしてしまうから、成長するまではウイルスに気を付けなくてはならない。

・父は息子とサッカーや野球、キャンプや海に本当は行きたい。

・でも、上記の理由でいけない。

・一緒にいたくないわけではないから、理解してほしい。

・一緒にできることも沢山あるから、それは一緒にやりたい。

・治ったら息子は高学年になってしまうけど、父に付き合って遊んでほしい。

・父が病気に負けるわけないだろ。

息子は、自分なりに解釈して納得していた。

病気をどう思っていたかを聞くと「可哀想だと思ってた」と答えた。

いつの間にか成長していた息子の姿に励まされた。

生存率や奏効率なんてどうでもいい。

統計に人生を支配されたくない。

必ず治して、生活を取り戻す。

勝鬨

8月1日(火)、PET-CTを実施した。

がん細胞の集積を確認する検査である。

FDGとよばれるブドウ糖に放射線を組み込んだ薬を使う。

運動性の疲労や糖分に反応するので、直前は静かに水とお茶だけで過ごさなければならない。

FDGが普段集まらないところに、ある程度の集積が確認できると癌と判断される。

生理的にも集積は見られるため、専門家による微妙な判定が行われる。

 

これを午前中に実施し、昼前には終わった。

医師からは18時に病棟の会議室に呼び出された。

会議室に呼び出されるときは大抵悪い話だ。

がん宣告、再発、再々発、再々々発、ドナー不適合、全て会議室での説明だった。

私は覚悟を決め、一礼をして席に着いた。

 

…検査の結果は陰性だった。

胸にあった0.5cmの腫瘍は消えていた。

実は多少の集積は認められた。

しかし、判定は陰性。

「多少の集積…」

すぐにスッキリはしなかった。

微妙な判定なのかどうか分からなかったからだ。

集積しているのはがん細胞ではなくFDG。

素人には、どんな可能性があるのか全く見当がつかない。

結局、治っていないということなのか?

しかし、すぐに分かった。

医師たちが笑顔だったからだ。

「全く問題ありません。」

医学的にはゼロの証明が難しいので、ある程度のところから下はゼロと解釈するという。

そんなレベルであるとのことだった。

仮に少し残っていたとしても、今は中間検査であることを強調された。

赤ちゃん細胞軍による掃討作戦が終わったわけではないということだ。

但し、ひとつだけ気になるのが甲状腺だという。

何故かFDGが集積している。

通常なら甲状腺癌を疑う。

しかし、医学的に、それは考えにくいとのこと。

手で触れる部位なので腫瘍がないことも、触診ですぐに分かった。

移植に使った薬の副作用もしくは胸の血管が異形なことに関与しているかもしれないと言われた。

「血管が異形?」

どうやら私の縦隔周辺は長い間巨大腫瘍と共に過ごして来たために、血管の迂回ルートを作ってしまったようだ。

もしかしたら、それが甲状腺に何か影響を及ぼしているかもしれないというのだ。

ただし、癌である可能性は極めて低い。

95%の確率で、何もないとの見解だった。

念のため、明日に超音波検査を行うことになった。

頭と心の整理が必要で、いつものようなガッツポーズは出なかったが、結果オーライである。

勝鬨を上げる。