思ったより長い。ロングテールだ。
一時期の辛さからは全くもって逃れたが健康な生活までが長い。
前回の投稿からだいぶ時間が経ったので、簡単に経緯を書く。
前回、投稿後に一般病棟に移った。
免疫反応をステロイドと免疫抑制剤で押さえ込んでいる状態だった。
体調が良くなってきた段階で移植部屋は他の患者さんに譲らなくてはならない。
しかし、移植病棟は四人部屋か重病人個室しかない。
差額ベットという概念がそもそもないのである。
私は個室が良かったので、違う病棟に移った。
引っ越しのタイミングでは非常に体調が良かった。
臍帯血移植を受けた患者はDay35より手前の場合、殆どの人がベッドのまま移動してくるという。
私は歩いて荷物を持って行ったので、受け入れ先の看護師達に驚かれた。
しかし、そんな元気な状態も束の間だった。
部屋が移ると、色々不便に感じたのだ。
掃除のおばさん達のきめ細かい対応はなし。
移植部屋は埃もカビも全くないが、一般病棟はエアコンから少し臭いを感じる。
普通の空気で咳が出てしまう。
これは病院が汚いのではなく、私の環境が特殊だった為だ。
むしろ、病院の空気は外気よりはるかに綺麗だという。
移植部屋はNASAが認める最高基準のクリーンルームである。
雲の上と同じレベルの空気。
そこにいた為、通常より綺麗な筈の空気を汚れて感じてしまうのだ。
そんな中、ステロイドの量を減らしていった。
すると、おさまっていた筈の免疫反応がみるみる蘇ってきた。
これには驚いた。
嘔吐の日々が戻ってきたのだ。
胃に免疫反応が出て、せっかく食事が取れるようになっていたのに、また逆戻り。
水も飲めない日々が続いた。
胃カメラによる細胞採取が検討された。
胃に免疫反応が出ていることを証明できると、院内処方の胃腸専用の抑制剤が適用できるという。
私はそれを望んだ。
しかし、胃カメラは辛い。
ましてや水も飲めない状態。
外来患者達に混ざって、順番を待っていた。
皆、辛そうだ。
だが、どうしたことだろう。
自分の番になって、やってみたのだが、殆ど苦痛を感じなかった。
「こんなの朝飯前だな…。これで辛そうにしている人たちは移植は耐えられないだろうな。」
今回の経験を通じて感覚が狂ったのか。
いや、人間として強くなれたのかもしれない。
私は前向きにそう捉えることにした。
そして、胃の免疫反応が証明された。
専用の薬を投与することが出来、急速に体調が回復した。
回復するには大体1週間くらいかかる。
なにせ水が飲めなくなっている状態からスタートだから。
そして、回復してくると、前回の経験を活かしながら免疫反応が出ないように薬を抜くプランを検討する。
これが、薬を抜くための1ターンである。
これを徐々に繰り返していく。
今でもやり続けている。
点滴が取れて、全て内服に変わって、状態が安定すると退院となる。
しかし、そこから半年〜1年かけて内服薬を抜いていく。
これに関してはまた別途、ブログを書いていこうと思う。
今日はDay52。
殆どの点滴が外れ、日中数時間だけ脳炎予防の薬とステロイドを投与している。
免疫抑制剤は先週から内服薬に変わった。
臍帯血移植の患者としては超優良な経過らしい。
臍帯血移植のリスクに関して改めて整理するとこうだ。
・入院患者の10〜20%は(日本の最高機関である病院でも)退院できずに死亡する
・臍帯血移植後の1年生存率は約50%。(二人に一人)
・臍帯血移植後の10年生存率は約35%。(三人に一人)
・脳炎で社会復帰できなくなる人が10%程度存在する。
私は最も危険な患者の一人だったが、今は最も優良な臍帯血移植患者となった。
しかし、がん細胞が消えなければ目的は達成できない。
来週の火曜日にPET-CTをやることになった。
がん細胞の集積検査である。
がん患者なら分かると思うが、これが癌かどうかの分かれ道という検査である。
移植前には胸に0.5cmの腫瘍が存在していた。
今回の大量抗ガン剤および赤ちゃん軍の暴走を切り抜けたとしたら、これは厄介な相手。
その時は再度赤ちゃん細胞を暴走させるらしい。
結果は8月1日に判明する。
果報を寝て待つ。
荷物を持って颯爽と歩いて病棟を移動している姿、想像しちゃった。でもそのあと身体の調子が戻ってしまったりで大変だったんだね…。
脳炎の危険はもうないのかと私は勝手に思い込んでいたんだけど、この記事読んでそれは違うことに気がついた。
10年後も20年後も今までみたいに仲間達で集まろうね。
何も力になれることがなくて、本当に申し訳ないよ。
ブログ更新してくれてありがとう。
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いやいや、応援してくれてありがとう。脳炎リスクはステロイドが切れるまでは続くみたいなんだ。もう殆どないみたいだけど、念のため予防は続けている。移植学会のカンファレンスでも脳炎予防を止めた翌日に発症する事例が多いとか報告されてたようで、先生も念入りにやってくれてるのだと思う。20年生きたら大成功。頑張るよ。
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こんにちは!ブログが更新されて嬉しいです!心配しておりました。ところでIT社長さんは「結節硬化型」なのでしょうか?ちなみに妻はこのタイプです。予後不良の国際スコアで「男性」の項目以外全て当てはまっていて肝臓にも浸潤していたステージⅣでした。アドセトリスもあと4回ですが発症してから、ずっと治療が続いているため骨髄が疲れているとの事で好中球実数が上がって来なく3週毎の投薬が4週毎になっています。先日のCTでは頸部リンパ節が若干増大も病的浸潤を特定する状態とは言えない。と言う、微妙な診断でした。まあ、頸部リンパ節は風邪等の影響で増大することがありますから、考えても仕方がないのでこのまま突き進みます(^ ^)このブログは私がホジキンについて、掘り下げて色々調べていて、その時たまたま出会いました。時系列的にもほぼ同じで異変は2015年の2月。謎の痒みが2014年の12月からあったのでここからかも知れませんが…SNS等で拡散する事を避けるため。との記述も見ました。もちろん同意します!ご安心を(^^)さて、今回のブログで「移植前に0.5ミリの腫瘍が存在していた」とありましたがサルベージでの「燃えカス」ではないのでしょうか?それとも、PET-CTでの集積によるある程度の確定要素からの判断なのでしょうか?何れにせよ、8月1日の結果は誠に勝手ですが、私も「一緒の気持ち」で受け止めたいと思っております!赤ちゃん細胞の強い「抗腫瘍効果」を信じましょうよ‼︎
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コメントありがとうございます。私も奥様と同じ結節硬化型です。ほぼ同じ時期の発症ですが、2015年4月時点でのステージングは2B(Bulky)でした。ただ、その後の検査で肺や心臓での発症が確認されました。横隔膜若干下にも転移があったことから、ステージ3なのか4なのか、医師もハッキリとしないまま治療が進んできました。未だによく分からないのです。再発・難治性の段階で、もはやステージは治療とは関係ないのかもしれませんね。標準治療がないのですから。
0.5cmの腫瘍に関してはPET-CTにて若干ながら集積が認められたものです。直前はICE治療を3クール行なっていました。期待としては完全寛解だったのですが、この程度の集積なら移植前処置の大量抗ガン剤で寛解が期待できるとの判断でした。当時はドナーが見つかったこともあり、時期をコントロールすることが出来ない中での判断となりました。
サルベージを続けるとやはり骨髄が疲弊するようですね。私もICE治療後には赤血球を輸血しなければならない身体になっていました。今は臍帯血が生着して血球は普通の人以上に自力生産できるように戻りました。ただ、戻るまでの過程では血小板が最も遅い回復となっていました。輸血は週に4回くらい行なっていました。
今回、ドナーさんからの造血幹細胞移植が不適合になり、強制的に臍帯血移植となった経験で、色々なことを学べました。当ブログは友人・知人に向けたもので、「骨髄移植」など分かりやすい表現に置換したり、医学的なことに関しても、要約してお伝えするようにしています。しかしながら、二ヶ月半の入院生活で医師や看護師から聞いた話、身を以て得た体験談はネット上のどこにも存在せずに、また前回頂いたコメントにも大きく気持ちを揺らがされ、これは世の中に発信していくべき内容だなと考えています。
改めて、別サイトにてホジキンリンパ腫および同種移植についての経験、得た知識を公開していこうと思います。改めてその際はご案内差し上げます。書き込みもできるようにしていきますので、是非、ご協力ください。今後ともよろしくお願いいたします。
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微力ながらも私でよろしければ協力させていただきますね!私の仕事柄一般の方より医学的には知識があります。しかも叔母は臨床検査技師でリンパ腫を専門に仕事をしておりました。現役で仕事をしていた頃の後輩は現在とても有名な方で、私たちはその先生に特別に生検検体(前病院の。現病院では生検できなかった)を診断して頂きました。そのコメントには「ホジキンリンパ腫では見られない広がり方。別の病態があるかも?」でした。基本、リードスタンバーグ細胞の存在、CD30陽性だったのでホジキンは確定でしたが、傍大動脈リンパ節にも腫瘤があり、珍しい。だから、他部位に別の癌があるのでは?と言うことだったみたいです。結果、ホジキンのみでしたけど。妻は4Bでしたが盗汗、発熱はなく初発も再発も酷い「痒み」から始まるパターンでした。何となくそれぞれの患者さんによって型があるような気がします。しかし、何故でしょうね?4Bでも初回ABVDで寛解、その後5年経過達成している方、そもそもステージがどうであれ8割方寛解しておられる訳で再発、難治性には何か違いがあると思うのです。山中先生のおかげで50年ほど前から「あるだろう」とされていた癌の親玉、女王蜂とも言われる「癌幹細胞」が確認され何故、放射線治療や抗がん剤治療が効かないのか?が解明されました。ただし、固形癌ですので血液癌は確認されてはいないみたいです。よって我々は今、日本で承認されている治療法で闘うしかないのです。ホジキンリンパ腫患者への同種移植はその最先端。それを体験されているIT社長さんは正に私たちにとって先駆者で、「患者達」には貴重なデータなのです。体調をご考慮して頂きなからもよろしくお願い致します!
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