無事生還

永らくブログを書くことが出来なくなった。

前回の投稿からたったの10日だが、人生で一番長い10日だった。

私は生着したら余裕だと思っていた。

第二関門を越えれば苦しみがなくなると思い込んでいた。

それは大きな過ちだった。

前回のブログ投稿後、赤ちゃん細胞軍が急増した。

結果的にDay14で生着をした。

しかし、赤ちゃん細胞軍は私を滅多打ちにした。

まず、高熱が出た。

ステロイドを投与しても38度。

仮にステロイドを投与しないと軽く40度を超える勢いだという。

所謂、生着症候群というやつだ。

前回、祈っていたのはGVHDと言って、私の免疫と移植した免疫との戦いだ。

戦いに勝った後、赤ちゃん細胞軍は体を支配する。

その後に、私自身を攻撃してきたのだ。

通常、臍帯血移植は生着症候群が弱いと言われているが、私が頂いた細胞は強かった。

今回、最も怖いのは脳炎だ。

脳炎の発症原因は現代医学で解明できていない。

高熱を出すとリスクが高まるという説とステロイドの過剰投与でリスクが高まるという説がある。

相反する二説。

医師はバランスを図り、ステロイド投与で38度台に抑える調整をしていた。

また、脳炎予防の薬を大量に投与した。

ホスカビルという劇薬である。

私の経験上、通常の抗がん剤と近いくらいの副作用を受ける。

加えて、免疫抑制剤の量を急激に増やした。

その結果、肺水症、逆流性食道炎、下痢、心臓肥大、血管内皮障害、浮腫、頭痛、高熱、痺れをほぼ同時に引き起こした。

文章で伝えることが出来ない、今までの人生で味わったことのない苦痛だ。

抗がん剤治療など屁に思えるくらいだ。

医療用モルヒネが全く効かない。

多少の波はあったが、約10日間続いた。

中でも最も厳しかったのは5日間くらいで、スマホをいじることもテレビを見ることも出来なかった。

もはや水を飲むことすら出来ない。

飲んだら吐く。

点滴から入れられるものは全て点滴に切り替えられた。

それでも、1日10錠くらいは飲み薬を飲まなくてはならない。

できるだけ唾液で飲む。

どのタイミングで飲むか、ベッドの上で考えていたのはそれだけだった

熟睡することも出来ない。

大量の薬物を投入しているので、腎臓と肝臓を守る為に大量の水を点滴し、利尿剤を打ち続けている。

30分〜1時間に一回は大量の小便が出る。

移植部屋の個室にはベッド脇にトイレが剥き出しで設置されている。

その意味が今更ながら分かった。

全ての穴から同時に出る。

想像を超える過酷さだった。

さすがに心が折れかけた。

しかし、何とか堪えた。家族の顔が浮かんだ。

私は直感的に思った。

(きっと今が正念場だ…ここで落ちていく奴と生き残る奴が決まる)

(強運は諦めない奴の元にしか訪れない筈だ…できることを探そう…)

 

医師や看護師が何をしているのか、私は向かい合っていないことに気がついた。

私は状況の説明を求めた。

タイミング、薬の投与量、リスク、症状の改善プランなど、先生たちは快く答えてくれた。

私は執拗にコミュニケーションを取った。

全てをブログに載せることは困難だが、結果的に幾つかの判断が変わった。

そして、3日ほど前にピークを過ぎたことを明かされた。

脳炎のリスクも減り、生命の危険性も安心してよい状況に戻った。

直ぐにエコーとCTで心臓のサイズ、肺の水、血管の太さ、脳梗塞、胃の内部を調べた。

結果、全て異常なし。

 

そして今、やっとブログを更新することができるようになった。

まだ、吐き気が残る。

未だに免疫抑制剤、ステロイド、ホスカビルは毎日投与しているからだ。

しかし、水・お茶・粥は喉を通るようになってきた。

今日は久しぶりに三食吐かずに食べられた。

少し元気になった私に医師が話しかけてきた。

私は辛かった回想話をした。

医師はこう言った。

「これで普通なんです。臍帯血移植は。個人差はありますが、むしろ順調で強運です。」

私は絶句した。

どうやら、ドナーさんからの移植(予定していたタイプの移植)だと、この10日間の辛さはなかったようだ。

そして、ここまで切り抜けると、ドナーさんから貰うタイプの移植より社会復帰が早いらしい。

加えて、ここまで強い免疫反応を示す臍帯血なら、ガン細胞も滅多打ちにしてくれると期待できる。

自分が死を感じるほどの強烈な暴れっぷりを見せるのだから、きっと大丈夫だ。

ちなみに、今は検査をしてもがん細胞は現れない。

しかし、120日経った時に、生き残りが細胞分裂をして増殖する可能性があるという。

仮にそうなった場合は、新たな免疫が攻撃することが期待できる。

以前も書いたが、仮に攻撃しない場合は、オプジーボという新薬で攻撃させることが可能だ。

 

来週から徐々に薬を減らしていき、移植病棟から一般病棟に移る。

そこから更に1ヶ月かけて退院できる身体に回復させる。

しかし、退院後も免疫抑制剤を内服するため、厳しい食事制限がかかる。

また、カビとウイルスに極度に弱くなるので、出来るだけ外出は控える。

その期間が半年〜1年と言われていたが、順調に行けば年内に免疫抑制剤を切れるかもしれないという。

しかし、完全に元の身体に戻るには3年くらいは必要だ。

全てリセットされているので、ワクチンなどは打ち直しになる。

生ワクチンは2年経過しないと打てないので、海外などに行けるようになるのは、その後だろう。

しかし、そんなことは大したことじゃないなと思えるようになった。

今日、病棟にある七夕の短冊に願いを込めた。

「娘とバージンロードを歩けますように」

私は二人の子供の成長を見届けたい。

絶対に病気を治す。

無事生還」への6件のフィードバック

  1. 私の妻も難治性ホジキンリンパ腫であなたと同じに闘病中です。こちらは2年前に発症、ABVD6クール後、1ヶ月で再発、自家造血幹細胞移植、現在アドセトリスの地固め療法中です。私共もまた再発したら、同種移植の選択をすると思います。IT社長さんの貴重な書き込みは特に数少ない再発、難治性ホジキンリンパ腫患者の「生きる希望の道」となるでしょう!無菌室から出れた時が、2度目の「誕生日」ですね?もう少しです!ご無事をお祈りしております!

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    • コメントありがとうございます。初めて同じ境遇の方のご家族と接触しました。日本には100人前後でしょうか。「生きる希望の道」とご評価頂き、全く予想だにしなかったことで驚いております。ブログの在り方も折を見て、同じ境遇の方が分かりやすいように整理が必要だと考えさせられました。

      「二度目の誕生日」は移植日とする方々多いようです。生着日は3日連続で好中球が500以上だったら振り返りで認定されますし、体調が悪いので向いてないのかもしれませんね。無菌室から出るのは病院の空きベッドの都合もありますので、上記のような風習なのかと思いました。移植は宗教的で病院の会派によっても意見分かれるので、この辺りももしかしたら会派毎に異なるかもしれないですね。

      私は、難治は不治ではないと信じています。チームプレーで始めて解ける難題という認識です。奥様の地固めアドセトリスが奏功することを心よりお祈り致します!

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      • 「2度目の誕生日」は実は妻の実体験からです(笑)無菌室は別次元ですからね。本人はそう感じたみたいです。私はホジキンリンパ腫になぜ?難治性、再発があるのか?担当医に「リードスタンバーグ細胞にも癌幹細胞があるのか?」直接聞いてみましたが「現在のところ分かっていません」との回答でした。アドセトリスは自家造血幹細胞移植の直後からが、一番効果的では?妻にこの方法をお願いできないか。と移植直前に念書を作成して直談判しました。するとそれまでアドセトリスに懐疑的だった担当医が「いい戦略だと思います」と。なんと、後で分かったことなのですが、2016年5月に欧州委員会がこの方法を追加承認していたのです。妻の移植は7月からの予定でした。癌患者さんなら誰でも知っている某有名病院ですが、初の試みだそうです。私共の挑戦も、同じ難治性で苦しんでいる患者さんの「希望」になればいいな!と思っております。

        いいね: 1人

  2. そうでしたか。それは旦那様の熱意が呼び寄せた結果ですね。奥様は心強く感じられると思います。
    とても刺激を受けました。ありがとうございます!

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  3. おかえりIT社長!毎日、気になって仕方なくて、ブログの更新を待ち構えてた。壮絶だったんだね。苦痛がそんなにいくつも重なってくるなんて。諦めないでピークをのりこえてすごすぎる。IT社長が外出できるようになったら、みんなで生還祝いをさせてね!

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