Day12

やっとブログを書けるようになった。

移植後は壮絶だった。

嘔吐、下痢、身体のムズムズ感、痺れ、浮腫み、腹痛が同時に襲って来た。

特に嘔吐とムズムズ感は耐え難い。

嘔吐は食事をすると、半日後まで吐き気が続き、最後は出てしまう。

毎日、食欲はあるが食べると出るという悪循環から、徐々に食事量が減っていった。

今はお粥しか食べられない。

栄養士さんとのコミュニケーションで嘔吐は抑えられるようになった。

吐き気はもはや仕方ない。

ムズムズ感は身の置き所がなくなる感じだ。

実はこれが一番辛い。

集中力がなくなり、3秒毎に体勢を変えないと、居ても立っても居られない。

これは薬の副作用であり、一度なると12時間はそのままだ。

対処法がなく、薬が抜けるのを待つしかない。

そこに腹痛と下痢が付き纏う。

もはや平常心でいられなくなってくる。

約一週間は試行錯誤の繰り返しだった。

飲み薬は1日50錠。

点滴は3リットル。

免疫抑制剤という移植細胞の拒絶反応を押さえる薬も投与する。

組み合わせを医師、看護師、薬剤師さんと相談しながら微妙にコントロールしていく。

何かを強くすると違うところに問題が出てくるので、全体のポートフォリオを調節していく。

まさに投資家ならぬ投薬家である。

そこに輸血が入る。

赤血球、血小板を足して行く。

血小板は白濁色の液体だ。

素人目には輸血と分からない。

しかし、赤血球は真っ赤なのだ。

透明のパックに入っているので肉の塊肉にも見える。

看護師の話では、生々しいから袋を掛けてくれとお願いする患者もいるらしい。

私には美味しそうにしか見えなかった。

久しぶりに焼肉が食べたくなった。

しかし、たまの検査で病棟に降りると一般外来の患者さん達からは冷ややかな目で見られた。

(あの人、若いのに重病人よ…)

薄っすら声が聞こえてくる。

点滴棒に着いてる数が多く、赤い輸血が特に目立つ。

(あなた達より生気は上だ!)

強い目線で睨み返してやった。

閑話休題

一番助かったのは医療モルヒネだ。

痺れと腹痛には効果覿面だった。

スイッチを押すと身体中に麻薬が回る。

フワッとした感覚で痛みが消える。

癖になるので、何回も押してしまう。

しかし、入れすぎると吐き気を催す。

私はできるだけスイッチを押さないようにしたが、日に何度かはお世話になった。

しかし、これらは実は免疫反応への対処ではない。

事前治療による身体のダメージがマックスになったことによるものだ。

事前治療では抗ガン剤を大量に投与する。

今までの約10倍の量。

ドナーさんからの移植だと、ここまでだった。

しかし、臍帯血は赤ちゃん細胞であるので、私の中の残党リンパ球達と喧嘩をすると負けてしまうこともあるらしい。

その場合、再度移植をしなくてはならない。

なので、徹底的に残党細胞をやっつける為に放射線を全身に浴びた。
抗ガン剤は血管しか通らないが、放射線は全身に隈なく当たる。

駄目押しの治療だ。

負けず嫌いの自分が、初めて負けることを望んだ。

しかし、前述の通り、その副作用は過去2年で経験したものと比較にならない強さだった。

そんな中、遂に先生から朗報を頂いた。

どうやら赤ちゃん細胞が勝ってきているらしい。

毎日、顕微鏡で血液を覗いてくれていたのだ。

徐々に身体の中で増えて生着に向かっているとのこと。

私は思わずガッツポーズをした。

そして、その夜熱が出た。

皮疹が出た。

涙も出た。

涙以外はDAY9FEVERと呼ばれる拒絶反応であり、もはや嬉しい。

「赤ちゃん細胞が十分な量に達するのは2週間くらいかかります。感染には注意してください。」

油断大敵ではある。

しかし、抗ガン剤が抜けてきて、投薬ポートフォリオが出来上がってきたので、私にはさほど問題ではなかった。

移植が第一関門なら、生着は第二関門。

今回、第二関門の扉をこじ開けるきっかけを掴んだ。

赤ちゃん細胞軍が雪崩れ込むのは時間の問題だ。

そこから一度陣形を整え、戦力と体力の回復を待つ。

赤ちゃんリンパ球はあっという間に戦力になる。

その間も赤ちゃんリンパ球による攻撃は行われるが、もし戦力が足りない場合は、オプジーボと呼ばれる薬を投薬することによって、免疫のブレーキを外し攻撃力を高める。

幸いにもオプジーボは高額医療だが、既にホジキンリンパ腫には保険適用が決まった。

最後の砦は育った赤ちゃん細胞を使って、私を苦しめたがん細胞を全滅させることだ。

必ず血祭りに上げて、勝鬨を上げる。

二次発癌への対策はそれからだ。

移植完了

2017年6月8日17時17分、臍帯血移植が完了した。

胸のカテーテルから僅か1分の輸注。

医師、看護師と家族が部屋に並ぶ。

心電図モニターを着け、抗アレルギー薬・補液・免疫抑制剤を点滴しながらの輸注。

上半身裸だ。

入院生活で弛んだ身体が恥ずかしいが、今は御構いなしだ。

生まれ変わる記念日という事で家族に揶揄されながらも自撮り棒で撮影した。

この1分のために25日間入院し、準備を整えてきた。

入院後は検査の連続。

10日前からはドナーさん待ちで前処置開始。

ドナーさんから移植出来ないトラブルはあったが、身体的には至って順調に進んできた。

心配された感染症にも未だかかっていない。

体重も殆ど減ってない。

足腰も毎日頑張って歩いたので、それ程弱っていない。

ただ、この数日は辛かった。

一昨日には1日で大量抗ガン剤投与を行った。

アルケランとフルダラという薬だ。

特にアルケランはシンドい。

胃と腸の粘膜が全てやられる。

吐き気も結構強い。

身体も怠い。

その状態で昨日は全身に放射線を浴びた。

既に40グレイ当てている私は、10年先の二次発癌を許容せざるを得ない線量に至ってしまった。

でも、10年生きられれば今は御の字だ。

10年先はきっと選択肢が広がっている。

今を生きたい。

放射線は全く痛くないが、やはり全身大ダメージを受けるので、吐き気や怠さが増す。

身体が火照る。熱い。

熱を測ると全く無い。

先生は安堵していたが、私は不快だった。

そして今日。

午前中、愛知から臍帯血が運ばれてくる。

昼過ぎには無事に届いた。

マイナス190度からの解凍を行うとのことだ。

17時頃の輸注が決まった。

私はもはや血が作れない身体。

輸注に備えて赤血球の輸血が行われた。

私はB型。

赤血球の輸血はO型。

血小板の輸血はAB型。

臍帯血はA型。

医学はよく分からないが、移植元と先の血液型の組み合わせで、輸血の組み合わせが変わるらしい。

そして、私は生着後A型に生まれ変わる予定だ。

生着には凡そ三週間かかる。

恐らく、明日以降に発生する拒絶反応との戦いだろう。

すでに身体が痺れる。下痢にもなりそうだ。

敗血症と脳炎にならないように、厳しい環境下で律さなくてはならない。

1日歯磨き5回、うがい8回、小さなキズが命取り。

爪を切るのも怖い。

煎餅食べるのも怖い。

耳掻きも出来ない。

吐き気、怠さ、火照り、下痢、痺れ、浮腫みと付き合いながら。

これから更に40度前後の発熱と大湿疹が予想される。

同じ病棟の先輩達は皆肌がボロボロだ。

まだ食事を完食出来て、運動が出来ているのが奇跡。

この状態が約1ヶ月続く。

蜘蛛の糸を辿る。

ドナー不適合

残念なことが起きた。

ドナーさんが肝炎にかかった。

5月30日が移植日であったが、二日前に延期が決まり一週間待った。

私は既に事前治療を八割済ませていたので、移植を止めることは出来ない。

誰かの骨髄を貰わないと生きられない状態になっていた。

かかりつけの担当医からも病院始まって以来の事態と告げられた。

一週間待っている間は楽観的な日もあった。

ドナーさんの容体が一時回復したからだ。

誰もが風邪だと思っていた矢先に、再入院後再び容体が崩れた。

ドナーさんは移植不適合の烙印が押されてしまい、ご自身の治療に専念することになった。

私にはバックアッププランが施されることになった。

臍帯血移植である。

出産時のへその緒から出る血液を臍帯血バンクというところで冷凍保存してある。

注射器一本分くらいの僅かな量だが、これを体内で増やして生着させるらしい。

誰のものでもよいわけではないが、ドナー適合よりかは遥かに適合種が見つかりやすい。

しかし、その分、リスクが大きい。

臍帯血移植には時間がかかる。

少ない量の細胞を体内で増やす必要があるからだ。

その間、私は免疫力がゼロとなる。

もちろん、無菌室で細心の注意が払われるが、体内に保持している菌もいる。

抗生剤は投与されるが、抑えきれないこともある。

また、移植後9日目に「Day nine Fever」と呼ばれる強烈な拒絶反応が起きる。

この拒絶反応ががん細胞を攻撃するという説もあるが、現代科学では定かではない。

拒絶反応はステロイドでコントロールできる。

私は現在、腫瘍が局所的なので抑えめで大丈夫だ。

拒絶反応を起こしすぎると脳炎になるリスクが増す。

脳炎になると3人に1人が死亡する。

3人の1人が記憶障害となり社会復帰が困難となる。

3人に1人は何も起きない。

臍帯血移植では10〜20%が脳炎になる。

かなり危険だ。

事前に分かっていたら、追い込まれない限りは選択しなかっただろう。

しかし、今は戦う時間も迷う時間もない。

残念ながら臍帯血移植一択なのである。

臍帯血移植自体は、よく行われている方法ではある。

移植といっても点滴注射で一分で終わる。

周囲の殆どは移植=手術と思っているようだが、移植=点滴なのである。

問題は移植した幹細胞が骨髄に生着するかどうかである。

また、生着する前に感染症にならないかどうかである。

なんだ感染症か、と高を括ってはならない。

38度の熱が出るような感染でも敗血症になって死亡するケースがある。

脳炎に至っては前述の通りである。

脳炎リスクを下げるために拒絶反応は最低限とする判断に至った。

オプジーボという新薬が後に控えているからだ。

オプジーボは免疫力を暴走させてがん細胞を攻撃する新薬だ。

移植後に使用した時の奏功率は高い。

なので、一世一代のかけをする必要がないのである。

本当は、この入院で全てを終わらせたかったが、そんなに甘くないのかもしれない。

オプジーボが効かなかったら、もはや打つ手がない。

しかし、現時点では完治率の方が高い。

データがあまりないのでハッキリとしたことは言えないが50〜70%と言われた。

私は以前からもっと少ない数値を言われていたので、正直驚いた。

リスクを取った分、移植を乗り切ればそれなりの期待が出来るとのことだ。

おそらくこの三ヶ月から半年で、この長い戦いの決着が見える。

移植日は明日、6月8日に決定した。

昨日が最後の抗がん剤、今日は放射線とヘビーな毎日だ。

しかし、もはや私の身体は何も感じまい。

放射線医からも線量オーバーで10年先に二次発がんの可能性が高いと言われた。

10年先なんて、なり振り構ってられない。

山中教授のIPS細胞と新薬、AI治療がきっと助けてくれるだろう。

私は最後まで勝ちに行く。